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西郷隆盛は、島津斉彬さん島津久光さんに使え、明治維新の後始末をした素晴らしい人だと思います、大きなことが起こると、余韻が残る、この余韻を消し去る、素晴らしい仕事だと思います。
加来先生の何気ないこぼれ話が本当に歴史探求へのモチベーションをあげてくれる
加来先生 楽しそうな話し口調に好感がもてます。
この話、、泣ける。。
加来先生の解説はわかりやすいです〜また〜女性アナウンサーさん声質が素敵ですね❤
とにかく、この女性アナウンサーが大好きです(キリッ)。
俺も
同感です。この人関西人なんですよね。加来先生の関西アクセントにつられることなく標準語アクセントでさすがアナウンサーです✨
気色悪すぎ
加来先生は歴史が〜くわしいですね、為になりますよ〜、☺
西郷隆盛については様々な本や小説を手にしましたが、個人的には海音寺潮五郎の長編が最も好きな作品です。 史実と異なる部分もあるのかもしれませんが、西郷隆盛の人間的な厚み、深みを感じました。
西郷さん、漢だな〜
加来先生西南戦争に勝海舟が説得に行ったら違った型になっていたかも知れないですね。山縣始め長州閥が陣頭指揮を取って居たからなんでしょうか。西郷、大久保が明治30年頃まで生きて居たらこの国はもっとまともな国になって居た様に思います。ありがとうございました。
西郷さんのイメージとしては加来先生と全く同じものを持っていたなあ西南戦争で負けて自分が死ぬことで幕末を終わらせようと思ったんだと思う悪い言い方をすれば不平士族という最後の膿を出し切ってさらなる内戦の連鎖を断ち切ったのが西南戦争と西郷の死の意義あれだけの体制の変化がありながら諸外国に付け入らせる隙を与えず速やかに維新を成し遂げたのは日本の歴史として誇っていいと思う
加来先生独自の歴史の見方はユニークで面白くて好きです。
伊勢盛時(宗瑞)は室町幕府の奉公衆として働いていましたので室町幕府と言う後ろ盾はありましたよ。それに、姉(北山殿)は今川家に嫁いで氏親(元服後)の叔父と言う立場もあり今川家も後ろ盾です。
西郷は新しい明治政府のために戦ったと思うけどね。反乱しても負け戦なのは政府にいた西郷からは見えていただろうし、やらないほうがよかった。ただ問題は政府に反対する反乱分子があまりに多いこと。それなら自分が頭になってそういう人達を集めて一気に負けたほうが政府がまとまれる。結果的に将来の日本が良くなるようにあえて悪者の役になったんだと思う。そのおかげで西南戦争を最後に政府は一気にまとまっていったし意味は大きかった。
板垣退助なんて根っからの武人脳なのに民主政治めざしはじめたからね。西南戦争のおかげで、次に決起するのは土佐や板垣じゃねえの?やつらを徹底的に監視すんべ!ってなって板垣の行動が制約された影響は大きい。
堤真一主演で北条早雲の大河を観たい!
たしかに、勝海舟なら西南戦争を上手く終わらせることが出来た気がします。あと、大久保利通を主役で大河ドラマを期待してます。
何時も楽しく拝見しています😄‼️ところで映画化されたりしているけど実際は何をしたのか殆ど分からない安倍晴明を取り上げて頂けないでしょうか🙇⤵️‼️何卒宜しくお願い致します🙇⤵️‼️
今晩は、矢張り西郷隆盛さんは、かなりの写真嫌いと言うか情に熱い人だったんですね。私は、西郷隆盛さんの事を好きではありませんでした。新選組や会津の人、篤姫様を追い詰めた人だからでした。でも情に熱い人だったと言う事が判っただけ良かったです。
ほんとに加来先生のおっしゃるとうりだと思います。西郷が生きていればっていう気持ちはだれしもある。伊藤、山県などの長州下級武士の権力を握った跡の功罪。よく山県の別荘なんかテレビで放映されますが、自分たちの赤贅沢をみてると、こりゃ失敗だと思いますね。山口に帰ったときの伊藤の贅沢ぶりも批難されてますが。やっぱり貧乏人が権力にぎるとあまり良くないような気がしますね。
『西郷・大久保』の先生の御見解については司馬遼太郎と珍しく似ているところが御座いますね//
鹿児島県民として鹿児島では人気のない大久保利通だけど静まり返っていた話は有名だな西南戦争 鹿児島じゃ古い人は10年の戦って言うからね 母方の親戚が行ってるね
山県有朋も聞きたい。
徳川家康は最後に勝ち残るのは長生きした者だと考えていたのだと思います。実際彼の子供や孫の代で家康より長生きしたのは勘当された松平忠輝(確か90歳位)だけだったと記憶しています。また、織田信長は過剰に塩分を採っていた上、甘党でもあったらしく、本能寺の変で討たれなかったとしても長生きは出来なかったのではないかと思います。
ユーチューブに慣れるとオープニングがまどろっこしくて。オープニングカットボタンが欲しいです。
地元の明治時代からの子供歌に「西郷隆盛、枕は要らぬ、要らぬはずだよ首がない」というものがあります。死に場所を求めたんですね。
戦争には負けたけど全体的にみた大戦略では大勝利なんだよな・・・・指令出してないから明治天皇と官軍を本気で滅ぼそうとする意思はなかったんじゃないかと思われて名誉回復は案外早かったし遺族も赦免されてる。徳川慶喜が本気で御所を爆破しようとしておらず海上遁走したゆえに慶喜は死刑になっておらずいまだ生きているのを見て、似たような戦略を描いて遺族の処刑や冷遇をなんとしてでも防いだふしがあるんだよな・・・慶喜もかつて血気はやる下っ端が西郷の挑発に乗って薩摩藩邸を襲って墓穴をほったから、自分も慶喜側になる番になったと覚悟して、慶喜のあのときと同様、この錦の御旗には絶対に逆らえないとおもって、逆賊として負けるならなるたけ被害が少ないようにしようと調整したのだろうな
日本橋小学校旧宅を売り払い時に好物のスイカを食した千疋屋に遺る扁額は真筆でしょうか?
挑発と言えば江戸の街を撹乱して幕府に手を出さして戦争に持ち込む事に成功していますね。薩長他の各藩も徳川にとって変わろうとした者が殆どだったのではなかったのでは、徳川の家臣の中にも優れた人材も多かったと思います。結局権力取り、先を見る事の出来た人は、排除されて昭和の敗戦に繋がってしまったではないですか?沢山の偉人がいたと思います❗️
かくせんせの言う通りなら西郷輝彦(←間違い 隆盛)はいやらしいタイプのええかっこしいですなあ
西郷隆盛の実際の顔写真は1枚も無いと言われてますね!!顔写真が、無いのは暗殺されるのを恐れて顔写真を作らなかったと言われてます。実際の西郷隆盛の顔は全く違う顔らしいです!!
早雲スキ
加来先生のお話を興味深く拝聴してきました。しかし、新しい歴史教科書に未だ龍馬、松陰、西郷等々が記載。詳細な史実満載の「大西郷という虚像」(「明治維新という誤り」完結編 原田伊織氏; ご近所の寺田屋は「観光用に建て替え」等々)BS11の株主は日本マスタートラスト信託(日本企業に見えて、元チェースマンハッタン信託銀行) 変な世の中になったものだ。国史啓蒙家 小名木善行氏や林千勝氏以外の歴史家は信頼できません。
西郷隆盛の曾孫に会ったことがあるが、隆盛そのもの生き写しだった。
戊辰戦争で亡くなられた人数を西南戦争での死者数がはるかに多かったそうですね。(T_T)
西郷は前々から戊辰は流された血が足りないから駄目だといっていた。諦めきれない連中がテロをする誘惑に負けちゃうんだよな・・・もっと流血がひどかったら、今の東北諸藩の士族みたいに諦めの境地に達するんだけど、なまじ勝利してしまった西軍藩はそれがない。だから武士解体などの社会改革はむしろ佐幕藩ですんなり履行できてて維新藩でてこずった。庄内藩なんて佐幕側なのに負け知らずだったから、逆に武士階級の精神結束は温存されて藩内の農民鎮圧に力を発揮してしまった
天海大僧正は108歳?
高須クリニックの高須家のご先祖が、家康公の手負い傷の手当をしたと聞きます。
勝海舟の動画消されちゃったんですか?
利通スキエエ
加来先生も長生きするために粗食にされてはいかがでしょうか。
伊勢宗瑞
かくて薩摩閥は消えて長州閥の天下になったか。7.8も歴史の流れなのかなあ・・・。
粗食が難しい・・・
旧士族の失業問題だろ。
今の薩長など青菜に塩だ
むつさんですね😊
隆盛は人格が大変優れていますので多くの人から、持ち上げられる。しかし本質は光秀型下剋上気質の人です。天下は俺が回すと基本的に考える人です。戦略脳があれば同じ戦略脳のある人とは争いません。戦略を理解できるので何処かで折り合いをつけるのです。家康型戦略脳をもつ久光を認めません。戦略脳を理解できないのです。征韓論の時の江藤新平・板垣退助・副島種臣らは隆盛と同じ下剋上気質、それに後藤象二郎が賛成するのですから、あっという間に纏まってしまいます。後藤を除き相手を軽く見てしまう気質ばかりが政府を運営していたのです。隆盛は気質の合うものばかり。なあなあの政治になっているとは同じ気質の者は気が付きません。反征韓論のまず国を固める考えも理解する能力もなかったのです。最後は戦略脳を持つ大久保などに覆されます。戦略脳を持つ指導者は気質的に隆盛のような人物を危険視します。信長は弟の信行・林佐渡守・佐久間盛信を処分します。そして明智光秀。危険を察した光秀は本能寺を決断します。隆盛の危険性を島津久光・大久保利通・小松帯刀・桂小五郎・伊藤博文・大村益次郎など戦略脳をもつ者はよく分かっているのです。家康型の弟の西郷従道さえ薩摩には帰りません。隆盛が暴発したのは政府の暗殺団が確認された時です。下剋上気質の者は自分に対する危険を敏感に感じ我慢ができなくなります。西南戦争は最初から負けるつもりなど隆盛の気質ではありません。勝つつもりで薩摩をでているのです。結果が分かっている私達は負けるつもりでと言われるとなるほど思ってしまいますが。現実は新政府への批判者が共に蜂起すると楽観的に考えていたのでしょう。春までには京へなどと言っていたのですから。こうした時も久光・忠義(頼朝型)は微動だにしません。隆盛は斉彬(信長型)だけでなく久光・忠義からも戦略脳を学ぶべきでした。
大久保が厳格で素晴らしいって感じでまとめてるけど、芸者遊びがダメなら遊び人の陸奥宗光や渋沢栄一も否定するのかな。大久保の専制的な体制で優秀な人材は政府から離れたのに。
岩倉や大久保いなかったときのほうが政府はすんなり改革できてたよね。西郷留守政府とか
想像でものを言うのは、フィクションを言えるよと思いますね。
勝海舟さんを全権大使は笑った~確かに西郷隆盛さんも、江戸城開城を思い出して口元を緩めた可能性はあるけど~たぶん一時和やかに昔話して終わりだろうね、勝海舟さんじゃあ、大風呂敷の胡散臭い話で爆笑するだけで、その先は無いだろうな~
女性アナウンサー、もう少しテンポよく話してほしいと思います。言葉と言葉の間を取り過ぎる傾向が。先生の良さが引き出し切れていない気がします。
伊藤のクスっぷり最低
この人、いい加減な事ばかり言ってますね。
例えばなんでしょう
何にもしらない人が 先生を悪く言わない。あなたより、よっぽど詳しい。
むすび大学よりましだと思う
俺の身体をお前らにあげるって言って、本当に下の奴らと一緒に死んだって‥。リーダーシップとかいう軽い言葉しゃ表せない。
西郷隆盛は、島津斉彬さん島津久光さんに使え、明治維新の後始末をした素晴らしい人だと思います、大きなことが起こると、余韻が残る、この余韻を消し去る、素晴らしい仕事だと思います。
加来先生の何気ないこぼれ話が本当に歴史探求へのモチベーションをあげてくれる
加来先生 楽しそうな話し口調に
好感がもてます。
この話、、泣ける。。
加来先生の解説はわかりやすいです〜
また〜女性アナウンサーさん
声質が素敵ですね❤
とにかく、この女性アナウンサーが大好きです(キリッ)。
俺も
同感です。この人関西人なんですよね。
加来先生の関西アクセントにつられることなく標準語アクセントでさすがアナウンサーです✨
気色悪すぎ
加来先生は
歴史が〜
くわしいですね、
為になりますよ〜、☺
西郷隆盛については様々な本や小説を手にしましたが、個人的には海音寺潮五郎の長編が最も好きな作品です。 史実と異なる部分もあるのかもしれませんが、西郷隆盛の人間的な厚み、深みを感じました。
西郷さん、漢だな〜
加来先生
西南戦争に勝海舟が説得に行ったら違った型になっていたかも知れないですね。
山縣始め長州閥が陣頭指揮を取って居たからなんでしょうか。
西郷、大久保が明治30年頃まで生きて居たらこの国はもっとまともな国になって居た様に思います。
ありがとうございました。
西郷さんのイメージとしては加来先生と全く同じものを持っていたなあ
西南戦争で負けて自分が死ぬことで幕末を終わらせようと思ったんだと思う
悪い言い方をすれば不平士族という最後の膿を出し切ってさらなる内戦の連鎖を断ち切ったのが西南戦争と西郷の死の意義
あれだけの体制の変化がありながら諸外国に付け入らせる隙を与えず速やかに維新を成し遂げたのは日本の歴史として誇っていいと思う
加来先生独自の歴史の見方はユニークで面白くて
好きです。
伊勢盛時(宗瑞)は室町幕府の奉公衆として働いていましたので室町幕府と言う後ろ盾はありましたよ。
それに、姉(北山殿)は今川家に嫁いで氏親(元服後)の叔父と言う立場もあり今川家も後ろ盾です。
西郷は新しい明治政府のために戦ったと思うけどね。
反乱しても負け戦なのは政府にいた西郷からは見えていただろうし、やらないほうがよかった。
ただ問題は政府に反対する反乱分子があまりに多いこと。それなら自分が頭になってそういう人達を集めて一気に負けたほうが政府がまとまれる。
結果的に将来の日本が良くなるようにあえて悪者の役になったんだと思う。そのおかげで西南戦争を最後に政府は一気にまとまっていったし意味は大きかった。
板垣退助なんて根っからの武人脳なのに民主政治めざしはじめたからね。西南戦争のおかげで、次に決起するのは土佐や板垣じゃねえの?やつらを徹底的に監視すんべ!ってなって板垣の行動が制約された影響は大きい。
堤真一主演で北条早雲の大河を観たい!
たしかに、勝海舟なら西南戦争を上手く終わらせることが出来た気がします。
あと、大久保利通を主役で大河ドラマを期待してます。
何時も楽しく拝見しています😄‼️ところで映画化されたりしているけど実際は何をしたのか殆ど分からない安倍晴明を取り上げて頂けないでしょうか🙇⤵️‼️何卒宜しくお願い致します🙇⤵️‼️
今晩は、矢張り西郷隆盛さんは、かなりの写真嫌いと言うか情に熱い人だったんですね。私は、西郷隆盛さんの事を好きではありませんでした。新選組や会津の人、篤姫様を追い詰めた人だからでした。でも情に熱い人だったと言う事が判っただけ良かったです。
ほんとに加来先生のおっしゃるとうりだと思います。西郷が生きていればっていう気持ちはだれしもある。伊藤、山県などの長州下級武士の権力を握った跡の功罪。よく山県の別荘なんかテレビで放映されますが、自分たちの赤贅沢をみてると、こりゃ失敗だと思いますね。山口に帰ったときの伊藤の贅沢ぶりも批難されてますが。やっぱり貧乏人が権力にぎるとあまり良くないような気がしますね。
『西郷・大久保』の先生の御見解については司馬遼太郎と珍しく似ているところが御座いますね//
鹿児島県民として鹿児島では人気のない大久保利通だけど静まり返っていた話は有名だな
西南戦争 鹿児島じゃ古い人は10年の戦って言うからね 母方の親戚が行ってるね
山県有朋も聞きたい。
徳川家康は最後に勝ち残るのは長生きした者だと考えていたのだと思います。実際彼の子供や孫の代で家康より長生きしたのは勘当された松平忠輝(確か90歳位)だけだったと記憶しています。また、織田信長は過剰に塩分を採っていた上、甘党でもあったらしく、本能寺の変で討たれなかったとしても長生きは出来なかったのではないかと思います。
ユーチューブに慣れるとオープニングがまどろっこしくて。オープニングカットボタンが欲しいです。
地元の明治時代からの子供歌に「西郷隆盛、枕は要らぬ、要らぬはずだよ首がない」というものがあります。死に場所を求めたんですね。
戦争には負けたけど全体的にみた大戦略では大勝利なんだよな・・・・指令出してないから明治天皇と官軍を本気で滅ぼそうとする意思はなかったんじゃないかと思われて名誉回復は案外早かったし遺族も赦免されてる。徳川慶喜が本気で御所を爆破しようとしておらず海上遁走したゆえに慶喜は死刑になっておらずいまだ生きているのを見て、似たような戦略を描いて遺族の処刑や冷遇をなんとしてでも防いだふしがあるんだよな・・・慶喜もかつて血気はやる下っ端が西郷の挑発に乗って薩摩藩邸を襲って墓穴をほったから、自分も慶喜側になる番になったと覚悟して、慶喜のあのときと同様、この錦の御旗には絶対に逆らえないとおもって、逆賊として負けるならなるたけ被害が少ないようにしようと調整したのだろうな
日本橋小学校旧宅を売り払い時に好物のスイカを食した千疋屋に遺る扁額は真筆でしょうか?
挑発と言えば江戸の街を撹乱して幕府に手を出さして戦争に持ち込む事に成功していますね。薩長他の各藩も徳川にとって変わろうとした者が殆どだったのではなかったのでは、徳川の家臣の中にも優れた人材も多かったと思います。結局権力取り、先を見る事の出来た人は、排除されて昭和の敗戦に繋がってしまったではないですか?沢山の偉人がいたと思います❗️
かくせんせの言う通りなら西郷輝彦(←間違い 隆盛)はいやらしいタイプのええかっこしいですなあ
西郷隆盛の実際の顔写真は1枚も無いと言われてますね!!
顔写真が、無いのは暗殺されるのを恐れて顔写真を作らなかったと言われてます。
実際の西郷隆盛の顔は全く違う顔らしいです!!
早雲スキ
加来先生のお話を興味深く拝聴してきました。しかし、新しい歴史教科書に未だ龍馬、松陰、西郷等々が記載。詳細な史実満載の「大西郷という虚像」(「明治維新という誤り」完結編 原田伊織氏; ご近所の寺田屋は「観光用に建て替え」等々)BS11の株主は日本マスタートラスト信託(日本企業に見えて、元チェースマンハッタン信託銀行) 変な世の中になったものだ。国史啓蒙家 小名木善行氏や林千勝氏以外の歴史家は信頼できません。
西郷隆盛の曾孫に会ったことがあるが、隆盛そのもの生き写しだった。
戊辰戦争で亡くなられた人数を西南戦争での死者数がはるかに多かったそうですね。(T_T)
西郷は前々から戊辰は流された血が足りないから駄目だといっていた。諦めきれない連中がテロをする誘惑に負けちゃうんだよな・・・もっと流血がひどかったら、今の東北諸藩の士族みたいに諦めの境地に達するんだけど、なまじ勝利してしまった西軍藩はそれがない。だから武士解体などの社会改革はむしろ佐幕藩ですんなり履行できてて維新藩でてこずった。庄内藩なんて佐幕側なのに負け知らずだったから、逆に武士階級の精神結束は温存されて藩内の農民鎮圧に力を発揮してしまった
天海大僧正は108歳?
高須クリニックの高須家のご先祖が、家康公の手負い傷の手当をしたと聞きます。
勝海舟の動画消されちゃったんですか?
利通スキエエ
加来先生も長生きするために粗食にされてはいかがでしょうか。
伊勢宗瑞
かくて薩摩閥は消えて長州閥の天下になったか。7.8も歴史の流れなのかなあ・・・。
粗食が難しい・・・
旧士族の失業問題だろ。
今の薩長など青菜に塩だ
むつさんですね😊
隆盛は人格が大変優れていますので多くの人から、持ち上げられる。しかし本質は
光秀型下剋上気質の人です。天下は俺が回すと基本的に考える人です。
戦略脳があれば同じ戦略脳のある人とは争いません。戦略を理解できるので何処かで
折り合いをつけるのです。
家康型戦略脳をもつ久光を認めません。戦略脳を理解できないのです。
征韓論の時の江藤新平・板垣退助・副島種臣らは隆盛と同じ下剋上気質、それに
後藤象二郎が賛成するのですから、あっという間に纏まってしまいます。
後藤を除き相手を軽く見てしまう気質ばかりが政府を運営していたのです。
隆盛は気質の合うものばかり。なあなあの政治になっているとは同じ気質の者は気が
付きません。反征韓論のまず国を固める考えも理解する能力もなかったのです。
最後は戦略脳を持つ大久保などに覆されます。
戦略脳を持つ指導者は気質的に隆盛のような人物を危険視します。
信長は弟の信行・林佐渡守・佐久間盛信を処分します。そして明智光秀。危険を察した
光秀は本能寺を決断します。
隆盛の危険性を島津久光・大久保利通・小松帯刀・桂小五郎・伊藤博文・大村益次郎
など戦略脳をもつ者はよく分かっているのです。
家康型の弟の西郷従道さえ薩摩には帰りません。
隆盛が暴発したのは政府の暗殺団が確認された時です。下剋上気質の者は自分に対する
危険を敏感に感じ我慢ができなくなります。
西南戦争は最初から負けるつもりなど隆盛の気質ではありません。勝つつもりで薩摩を
でているのです。結果が分かっている私達は負けるつもりでと言われるとなるほど思って
しまいますが。現実は新政府への批判者が共に蜂起すると楽観的に考えていたのでしょう。
春までには京へなどと言っていたのですから。
こうした時も久光・忠義(頼朝型)は微動だにしません。
隆盛は斉彬(信長型)だけでなく久光・忠義からも戦略脳を学ぶべきでした。
大久保が厳格で素晴らしいって感じでまとめてるけど、芸者遊びがダメなら遊び人の陸奥宗光や渋沢栄一も否定するのかな。
大久保の専制的な体制で優秀な人材は政府から離れたのに。
岩倉や大久保いなかったときのほうが政府はすんなり改革できてたよね。西郷留守政府とか
想像でものを言うのは、フィクションを言えるよと思いますね。
勝海舟さんを全権大使は笑った~
確かに西郷隆盛さんも、江戸城開城を思い出して口元を緩めた可能性はあるけど~
たぶん一時和やかに昔話して終わりだろうね、勝海舟さんじゃあ、大風呂敷の胡散臭い話で爆笑するだけで、その先は無いだろうな~
女性アナウンサー、もう少しテンポよく話してほしいと思います。言葉と言葉の間を取り過ぎる傾向が。先生の良さが引き出し切れていない気がします。
伊藤のクスっぷり
最低
この人、いい加減な事ばかり言ってますね。
例えばなんでしょう
何にもしらない人が 先生を悪く言わない。あなたより、よっぽど詳しい。
むすび大学よりましだと思う
俺の身体をお前らにあげるって言って、本当に下の奴らと一緒に死んだって‥。リーダーシップとかいう軽い言葉しゃ表せない。
西郷隆盛の実際の顔写真は1枚も無いと言われてますね!!
顔写真が、無いのは暗殺されるのを恐れて顔写真を作らなかったと言われてます。
実際の西郷隆盛の顔は全く違う顔らしいです!!